学 日本 芸術 学園

芸術学科SCIENCE OF ART幅広いジャンルの美術史や芸術理論を習得。たとえば美術館や博物館で芸術作品と向き合ったとき、これまでとは違う視点から、より深く作品を理解できるような知識や感性を身につけられます。本格的に美術史や芸術理論を研究します。「制作者について」「作品の成立背景とは」「美とは何か」「なぜ人によって美がちがうのか」などを考察。芸術について深く学び、自分の興味や価値観を見つめ直した上で、丁寧な論文指導のもと研究結果を卒業成果物にまとめあげます。日本をはじめヨーロッパ、アジアなど、幅広い地域における芸術の成り立ちや歩み、特性などを考察。また、美術史だけでなく理論や美術資料の読み方など、芸術学の基礎について、あらゆる方向から学べます。本コースがめざすのは、学生自身が芸術の魅力や可能性を知るだけでなく、それをより多くの人に伝えられるようになれること。実際に、本コースでの学びと併行して学芸員資格課程を受講し、芸術普及をめざす人も多くいます。「芸術学原論」「近現代美術の諸相」「舞踊論」「西洋芸術史の諸問題」「表象行為論」「視覚文化論」「東洋芸術史の諸問題」「日本芸術史の諸問題」など各専門家による講義を開講します。 卒業までの合計⾦額(4年間) 卒業までの合計⾦額(2年間) 芸術の世界へようこそ!生まれも育ちも東京です。専攻は仏教美術史。東アジアにおける仏像の歴史的展開について研究を続けながら、毎年アジア各地へ調査に出かけています。著書に『アジアの芸術史造形篇Ⅰ中国の美術と工芸』藝術学舎(2013年)等、共著に『東大寺:美術史研究の歩み』里文出版(2003 年)等、論文に「中国仏教初伝期に於ける仏像受容の実態に関する一考察」(『美術史』160)ほか多数。『アジアの芸術史 造形篇Ⅰ中国の美術と工芸』藝術学舎 (2013年)卒業したいまも、学友たちとメールやSNSで近況を伝えあい、飲み会などを開催。「気に入った展覧会や作家について、夢中で話し込んでいると、青春時代に戻ったようです」。松田さんを本コースへと誘った、その男性の名は関根正二。いまから100年前に夭折した洋画家である。「いつか芸術を本格的に学びたい」という長年の希望と、この作家との出会いに背中を押され、本学の扉を開いた。「親も高齢になるので、やりたいことをできるうちに、という気持ちもありました」。絵の好きな父に手を引かれ、美術館に通いはじめたのは幼稚園の頃。それなりに詳しいつもりでいたが、入学して、自分よりずっと若い先生方の知識に圧倒された。「どれだけ数多くの作品を見ようと、それぞれを個別に捉えていては、理解したとは言えないんですね。時代の傾向や文化、政治など、すべてがつながって、ひとつの作品が生まれるのだと教わりました」。さらに、写真やデッサンなどの実技科目にも挑戦。「制作系の学生さんとも知り合えて、作り手の気持ちに少し近づけた気がします」。孤独だと思っていた通信教育で、驚くほど豊かに広がっていった人の輪。ちょっとした学習の相談から芸術論まで、世代を超えて熱く語り合える学友との出会いは、他では得られない貴重なものだったという。多くの人や学びにふれ、見る絵のジャンルも広がり、それでも松田さんに心変わりはなかった。関根についての数少ない文献を何度も読み返し、どこの店に通っていたかまで調べ尽くす。「まるで恋する乙女、いやストーカーだね、なんて学友にからかわれました」。その甲斐あって、図録の小さな写真から、持論の裏付けとなる証拠を発見。「頑張る人には、いつかそういうご褒美が降ってくるものです」と、偶然をつかんだ粘り強い努力を、先生に讃えられた。「いまは大学院で、関根を直接知る人の資料を集めて整理を試みています。記憶や記録が失われてしまう前に、なんとか後世に残したくて」。貴方を忘れない。忘れさせない。松田さんの情熱は、短すぎた画家の生き様を、末長く人々の心に刻みつけていく。最初のスクーリングで知り合った学友とは、いまも足しげく美術館に通う仲。「入学がきっかけでLINEをはじめました。芸術という、共通の楽しみでつながりあえる友人は、本当に貴重な存在です」。一般の短大を卒業後、事務職で働きながら、美術館通いを趣味としていた脇丸さん。ある日ふと新聞広告で、通信で芸術学士という文字を見つけた。「ちょうど琳派400年の前年で、勝手に運命を感じてしまって」。長年好きだった日本の古典をはじめ、古今東西の芸術について学ぼうと入学を決めた。「とはいえ未経験のことばかりで、最初はレポートに苦労しました」。ピンチを救ったのは、思いがけない学友の存在。「通信なのに、こんなに交流があるんだとビックリ」。スクーリングで知り合った友人に学習のコツを教わり、SNSで励ましあって学びをすすめた。さらに、先生の添削も大きな支えに。「内容のまとめ方から文章表現まで、紙の上ながら、手とり足とり教わるようでした」。やがて論述にも慣れ、レポート作成を通して、新たなものの見方や知識を深めていった脇丸さん。ついに卒業研究として、憧れの《風神雷神図屏風》と向き合うことになった。「まずは論文の書き方や文献の調べ方などのテクニックをいちから教わり、核心となる考え方にすすむのですが…」。行く手には風雲ならぬ暗雲が。「先行研究は疑ってかかれ」。そんな先生の言葉に驚き、すぐに納得した。「他を批判的に見なくては、自分の研究ができないんです」。超がつく名作を選んだために、無数の先行研究が大きな壁となったのだ。「あれもこれも語り尽くされ、一体何を書けばいいんだろう」悩み抜いた末に得た結論は、「あえて著名な先行研究を土台に、自分らしい見解を加えること」。先生の導きもあり、納得いくものにできたという脇丸さん。「卒業後は、ぽっかり穴があいた気分に。学士とともに取得した学芸員資格をボランティアで活かそうと、手話を習いはじめました」。ひとたび身につけた目や技は、あらゆるかたちで芸術との絆になっていく。本コースに来たそのときが、脇丸さんにとっての琳派元年、芸術学元年だったかもしれない現在は学芸員資格課程を履修中。「資格を得ることで、小川三知の作品展示や紹介に少しでも役立てば、と思って挑戦したものの……再びテキスト科目に苦しんでいます」。「たまたまテレビ番組で見かけたステンドグラス作家、小川三知の作品が頭から離れなくて」。もっと深く知りたい、研究したいと思いつづけてきた井村さん。「今やっておかないと必ず後悔する」と、仕事をしながらの入学を決めた。「とはいえ最初は、上級のカルチャースクール程度に考えていたんです。でも、とんでもなかった」。テキスト課題やスクーリングのレポートに返される添削指導の細かさ、そして厳しさ。「成績がよくない時ほど、丁寧にご指導いただけて。先生の熱心さが、通信という距離をこえて伝わりました」。幅広いカリキュラムの中には、自身の興味とかけ離れた分野もある。しかし、学ぶうちに「すべてがどこかでつながっている」と感じられた。また、各界を代表する先生の講義はもちろん、学友たちと互いの分野について熱く語りあうのも楽しかった。「予想以上に、仕事や介護、子育てをしながら学んでいる方が多くて。多忙ながら時間をやりくりして頑張っている姿に、何度も励まされました」。少しずつレポートに慣れ、東西の芸術への知識を深め、あらためて「私が研究したいのは、やっぱり小川三知」と確信した井村さん。作者を愛好する会に入り、各地に残る作品を訪ね、親族への取材を行い、新たに出会った人々の助けに感謝しながら研究をすすめていった。「まだまだ知名度の低い作家なので、資料も研究する人も少ないんです」。卒業論文をまとめ終える頃には、自分も数少ない研究者のひとりになっていた。「おかげで、三知の地元にある美術館で、研究発表をする機会までいただきました」。自身の努力が世に出ることより、とにかく小川三知の魅力を、ひとりでも多くの人に伝えたい。新たな研究者が増えることで、埋もれた作品の保存につなげたい。そんな一心で、これからも研究活動をつづけると決めた井村さん。三知について語るその表情は、光を受けたステンドグラスのように輝いている。卒業後は大学院の「比較芸術学分野」に進学。大学院ならではの「プレゼンテーション」という新たな難題に悩まされつつ、フジタ研究を深めつづける。「まさか自分がこうなるとは、思ってもみませんでした」という加藤さん。本コースを卒業して大学院へすすみ、さらに研究を深めている。けれど入学前は、ただの美術好きな主婦。一人娘が手を離れ、カルチャースクールの延長のようなつもりで入学を決めた。「考えが甘かったですね。与えられる学びの広さ、求められる思考の深さにがく然」。もちろん深く学ぶほど、得られる喜びも深い。悩んで書きあげたレポートには、びっしり細かく先生からの添削が。現地研修では、先生や学生数人で行動をともにし、大人の修学旅行を味わった。「卒業論文テーマを藤田嗣治に決めていた私は、〝フジタの加藤さん〞なんて呼ばれて」。しかし、いざ着手してみると、そのフジタが大きな壁となった。「散漫な随筆です」。先生から辛辣に批評され、ショックを受けた。本学に来てから、デッサンなどの体験を通して、絵の見方が変わった。少しずつ知識も増えてきた。しかし、それだけで持論を生むことはできないのだ。思い悩み、一時は作品を見るのも嫌になっていた加藤さんに、先輩からの助言が。「思考を止めないで、どこにいても常にメモを持ち歩いて」。その言葉を胸に、久しぶりにフジタの展覧会に足を運び、これまでの苦悩がふっきれた。「やっぱり好き。だから、がんばろう。素直にそう思えたんです」。題材をいちから見直し、なんとか人生初の論文を完成。「あの厳しいご指摘がなかったら、中途半端なままだった。愛あるダメ出しに、今は感謝しています」。先生の他にも、豊かな知を持つ学友たち、大学を通して知り合えた美術関係者、パソコンの指南役になってくれた家族など。いろんなつながりが自分を支えてくれた。「芸術は人の魂を救い、生きる力を与えてくれる」。そんな名言が身にしみた、とつぶやく加藤さん。好きなフジタと向き合う先に見たのは、芸術学という学びの原点そのもの、だったのかもしれない。本学のこれまでの歩みと、現状の学問領域、大学30周年を契機として策定した将来構想「グランドデザイン2030」を踏まえて、その教育内容や活動に相応しい名称として、2020年4月1日に、学校法人瓜生山学園「京都造形芸術大学」から名称を変更いたしました。© Kyoto University of the Arts All Rights Reserved.

清田義英が学長に就任。新図書館、情報デザイン棟・芸術学棟、第2工作センター、東門および駐輪場が完成。 美学・音楽学・演劇学・映画学・美術史学(日本、東洋、西洋)が学べる日本でも数少ない学科。芸術への深い理解と洞察力を身につけていきます。 芸術研究のほか作品鑑賞・見学旅行も開催 1 (1990)-タイトル別名. 21, no. 日本芸術療法学会誌 敬道学園グループ校. 日本芸術療法学会, 1990.10-Vol.

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