青春時代2 8 年後

第九十銀行は、明治11年(1878)、地元資本による盛岡初の銀行として、旧十三日町に誕生しました。南部藩士の株主94名、資本金10万円での設立でした。 そして明治43年(1910)12月、第九十銀行本店本館(現:もりおか啄木・賢治青春館)が 表紙に掲載されている一枚の写真が強烈だ。中国の最高指導者毛沢東が、日本から来た学生訪中団と対面している。緊張の面持ちで毛沢東と向き合っているのが本書『未完の時代――1960年代の記録』(花伝社)の著者、平田勝さんの若き日の姿だ。 表紙に掲載されている一枚の写真が強烈だ。中国の最高指導者毛沢東が、日本から来た学生訪中団と対面している。緊張の面持ちで毛沢東と向き合っているのが本書『未完の時代――1960年代の記録』(花伝社)の著者、平田勝さんの若き日の姿だ。その後、司法試験を断念した平田さんは、出版社を立ち上げ、「自由な出版」を実現するために離党する。共産党との関係は「是々非々」になったという。本書でも辛口の記述が少なくない。本書では多数の関係者が実名で登場する。60年代を東大ですごした人は懐かしい名前を見つけることになるかもしれない。のちの有名人も少なくない。特に平田さんが懐かしむのは、駒場寮の寮委員会時代の仲間との付き合いだ。民青系だけでなく、保守系も含め、様々な立場の人がいた。当時の仲間の一人、佐々木毅氏は東大の総長になり、文化勲章も受章した。祝賀会には平田さんも出た。当然ながらのちに「体制内エリート」として成功した人が多いが、平田さんが出版社を立ち上げてからは、会社まで来て経営に役立つ知識をいろいろ教えてくれた人もいた。「これらの助言がどんなに役立ったかしれない」と感謝している。東大紛争は1968年初頭、医学部の無期限ストを発火点として拡大した。平田さんはすでに学生運動の一線からは退き、大学に籍はあるものの、共産党系の出版社「新日本出版社」で編集者の仕事をしていた。実際のところ、やきもきしながら状況の推移を見守っていた。というのも、当初は東大の10学部のうち、医学部と文学部を除く8学部の自治会を共産党と密接につながる民青系が握っていたが、9月から10月にかけ次々とストライキが決行され、執行部が全共闘系にひっくり返っていたのだ。60年代の学生運動については類書が多数ある。大半は「反代々木系」「全共闘系」の筆者によるもの。本書のような共産党系の元活動家によるものは少ない。その意味でも貴重だが、とりわけ、「第4章」が興味深い。「文学部8年生」だった平田さんが、文学部の紛争終結に向けて、共産党の指示のもとで秘密裏に動き、事態収拾に成功した様子が克明に再現されている。宮本氏とはその後もしばしば会ったという。細かい情報やビラ一枚に至るまで知っていることに驚いた。平田さんが書いたアジビラも読んでおり、「あれはよく書けている」と言われたこともあった。いま花伝社には、学生時代にSEALDsで活躍していた若手がスタッフに入り、本書の編集を担当したという。平田さんの「未完の志」は、半世紀を経て、形を変えながら次の世代に静かにバトンタッチされつつあるようだ。危機感を強めた共産党はてテコ入れに躍起になる。平田さんは党本部に呼び出しを受け、しばらく現地指導に行ってくれ、と指示される。ここからが本書の最大の読みどころだ。事件の首謀者とされる広谷氏は、60年代の学生運動で、平田さんが直接の指導・指示を受けていた人だ。要するに、長期にわたって「広谷氏に使われた」のが平田さんだった。川上氏とも親しく、彼らの勉強会に出ていたこともあるが、事件当時の平田さんは、司法試験の勉強に取り掛かっており、運動とは距離を置いていたこともあり連座しなかったようだ。タイトルの「未完の時代」というのは60年代のこと。帯には「『未完の時代』を生きた同時代の人と、この道を歩む人たちへ」とある。時は移り、「そして、志だけが残った――」とも。こうして文学部も収束に向けて動き出す。8年生だった平田さんはいくつか単位を残しており、落第、中退を覚悟していたが、「何でもよいから特別レポートを提出」するように言われ、奇跡的に卒業できた。骨を折ってくれた人の話も出てくる。郷里の両親に卒業証書を届けると、自宅で長い間、額に入れて飾っていたという。平田さんは激動の1960年代に学生運動に深く関わり、全学連委員長も務めた。在学中から日本共産党員。あの「東大紛争」では、極秘の収拾工作に関わっていた。しかし、のちに共産党を離れる。本書は、激動の60年代を駆け抜けた「東大・元共産党員」の疾風録だ。話がここで終われば手柄回顧、ハッピーエンドだが、平田さんには次なるドラマが待ち受けていた。それが「第5章 新日和見主義事件――1969年~1972年」である。これは共産党と民青内部のゴタゴタだ。平田さんは直接の当事者ではないが、最近の資料なども参照しながら、客観的にまとめられている。共産党本部からは直後に、「宮本顕治書記長のもとに至急報告に来い」という連絡が届く。党本部に出向くと、書記長室に呼ばれ、宮本書記長がいた。長く全学連の活動をしていたが、書記長室に入るのも、宮本氏と直接面会するのも初めてだった。まず教授たちに働きかけた。個別に有力教授の自宅を訪問し、教授会内部の勢力図を把握、解決の道を探った。可能な限り一人一人の先生と会ったという。「右翼」とされた中国哲学の宇野精一先生の自宅も訪ねた。「君は顔が利くようだから宜しく頼む」と言われた。ギリシャ哲学の斎藤忍随先生からは「文学部のために平田君は坂本龍馬になって薩長同盟をやってくれないか」と持ち掛けられた。革マルと民青が手を結んでストライキ解除をやってくれないかということだ。そこで、山本信先生の手引きで、革マル派の文学部の自治会委員長と、山本氏が行きつけの神保町のバーで密かに会った。しかし相手には、そうした発想はなく、事態は進まなかった。上述の文学部の岩崎学部長とのやり取りは、お互いに口外しないという約束だったという。詳細を記したのは今回が初めて。「東大紛争から50年の歳月が流れたいま、歴史的事実の一端を語ることは許していただけると思う」としている。BOOKウォッチでは関連して、『東大闘争から五〇年――歴史の証言』(花伝社)、『東大闘争 50年目のメモランダム--安田講堂、裁判、そして丸山眞男まで』(ウェイツ刊)、『東大闘争の語り』(新曜社)、『かつて10・8羽田闘争があった――山崎博昭追悼50周年記念〔記録資料篇〕』(合同フォレスト)、『私の1968年』(閏月社)、『歴史としての東大闘争――ぼくたちが闘ったわけ』(ちくま新書)、『東大駒場全共闘 エリートたちの回転木馬』(白順社)、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー』(洋泉社MC新書)、『赤軍派始末記』(彩流社)など多数紹介している。年が明け、秩父宮ラグビー場で、7学部の学生代表団と、大学側の加藤執行部の大衆団交が行われ、10項目の確認書が交わされる。直後の全共闘系と機動隊による安田講堂攻防戦が注目されたが、紛争は大枠で解決に向かうことになった。しかし、文学部の状況は依然として混とんとしていた。そこで、平田さんが動く。林氏は平田さんを有志連合の一人と受け止め、思うところは大胆に語った。平田さんは翌日、単独で改めて面会を申し込む。そして、「自分は共産党の任務を帯びて解決のために文学部に来ている」と率直に話して収拾構想を伝えた。林氏は「参った、参った」「君の考えはよく分かった」。平田さんは1941年、岐阜県で生まれた。大学進学者は年に数人という田舎の高校を卒業し、一浪後の61年、東大へ。駒場寮委員長、全寮連委員長、東大学生自治会中央委員会議長、第一回日中青年交流会の学生団体団長、全学連委員長などを務め、東大紛争では文学部の事態収拾のため水面下で交渉にあたった。69年、文学部を卒業し、出版社勤務を経て、85年に花伝社を創立し代表取締役、現在に至る、というのが略歴だ。この事件は、「60年代の学生運動を党の学生対策部長として指導した広谷俊二氏が、自分が党から干されたことを不満として、学生運動を基盤とし、その中心的な存在であった川上氏(元全学連委員長)らに働きかけ、最終的には新党結成に至る分派闘争を目論んで仕組んだ事件であったと思われる」と結論付けている。しかし、それに対する宮本体制による党側の摘発は容赦なかった。平田さんは、処分された関係者のほとんどは冤罪だったと見ている。「大量の査問が行われ、事件の影響が深刻に出ているにも拘わらず、この事件に対する党の検証は極めて不十分であると思う」「『日本共産党の八十年』から新日和見主義事件に関する記述はすべて消された。共産党はこの事件が『風化』することを待っているのだろうか」とも書いている。新日和見主義事件とは1972年に起きた、主として民青を中心に大量の共産党系青年運動の幹部が反党分子として査問され処分された事件だ。党によって戦前の特高のような査問が日本国憲法下で行われたこと、この事件の2~3年後には、党中央に忠実に従い、新日和見主義に対して先頭に立って闘ったと評価されていた複数の民青幹部が、警察のスパイとして摘発されたこと、この事件で60年代の共産党系の運動を担った人の多くが放逐され、その後の運動に世代断絶が起きたことなどを指摘している。当時の文学部自治会は革マル派が握っていた。学生大会をやると、250~300対80~120ぐらい。民青系は80ぐらいで圧倒的に差があった。一方で、一般学生の中には、このままストが続くと、来春の就職がやばいという空気も生まれつつあった。彼らは「有志連合」として動き始めていた。平田さんは彼らと話を付け、7~8人で文学部の林健太郎学部長 (当時)宅を訪問する。文学部の岩崎武雄学部長には「少数の者で解決策を詰めてみませんか」と提案した。何度かやり取りし、解決の方向を「学部長書簡」のような形で、学生、教授会の双方に向けて発表する流れになる。原案を書いてくれと頼まれ、たたき台を岩崎氏に渡した。あとで発表されたものを見たら、平田さんが作った文章と一字一句違わないものだった。本書は、「ここに記したのは1960年代に自分が実際に体験したこと 見たり、聞いたりしたこと そこで感じとったことなどを そのまま、記述したものである」という冒頭の言葉で始まる。「第1章 上京と安保――1960年」、「第2章 東大駒場――1961年~1964年」、「第3章 東大本郷――1965年~1968年」、「第4章 東大紛争――1968年~1969年」、「第5章 新日和見主義事件――1969年~1972年」という5章仕立て。年を追いながら激動の60年代と、学生運動に深入りした自らの青春の日々を回顧する内容となっている。

表紙に掲載されている一枚の写真が強烈だ。中国の最高指導者毛沢東が、日本から来た学生訪中団と対面している。緊張の面持ちで毛沢東と向き合っているのが本書『未完の時代――1960年代の記録』(花伝社)の著者、平田勝さんの若き日の姿だ。 ♪ 青春時代 (1976年8月 森田公一とトップギャラン) 歌・新浜レオン ... 野生に戻した1年後の再会に涙が溢れる【感動】 - Duration: 7:04. 《青春時代2》(韓語: 청춘시대2 ,英語: Age Of Youth 2 ),為韓國 JTBC於2017年8月25日起播出的金土連續劇,由《親愛的恩東啊》李太坤導演執導與《暴力羅曼史》朴妍善作家合作打造。此劇講述《青春時代》一年後發生的故事。 表紙に掲載されている一枚の写真が強烈だ。中国の最高指導者毛沢東が、日本から来た学生訪中団と対面している。緊張の面持ちで毛沢東と向き合っているのが本書『未完の時代――1960年代の記録』(花伝社)の著者、平田勝さんの若き日の姿だ。その後、司法試験を断念した平田さんは、出版社を立ち上げ、「自由な出版」を実現するために離党する。共産党との関係は「是々非々」になったという。本書でも辛口の記述が少なくない。本書では多数の関係者が実名で登場する。60年代を東大ですごした人は懐かしい名前を見つけることになるかもしれない。のちの有名人も少なくない。特に平田さんが懐かしむのは、駒場寮の寮委員会時代の仲間との付き合いだ。民青系だけでなく、保守系も含め、様々な立場の人がいた。当時の仲間の一人、佐々木毅氏は東大の総長になり、文化勲章も受章した。祝賀会には平田さんも出た。当然ながらのちに「体制内エリート」として成功した人が多いが、平田さんが出版社を立ち上げてからは、会社まで来て経営に役立つ知識をいろいろ教えてくれた人もいた。「これらの助言がどんなに役立ったかしれない」と感謝している。東大紛争は1968年初頭、医学部の無期限ストを発火点として拡大した。平田さんはすでに学生運動の一線からは退き、大学に籍はあるものの、共産党系の出版社「新日本出版社」で編集者の仕事をしていた。実際のところ、やきもきしながら状況の推移を見守っていた。というのも、当初は東大の10学部のうち、医学部と文学部を除く8学部の自治会を共産党と密接につながる民青系が握っていたが、9月から10月にかけ次々とストライキが決行され、執行部が全共闘系にひっくり返っていたのだ。60年代の学生運動については類書が多数ある。大半は「反代々木系」「全共闘系」の筆者によるもの。本書のような共産党系の元活動家によるものは少ない。その意味でも貴重だが、とりわけ、「第4章」が興味深い。「文学部8年生」だった平田さんが、文学部の紛争終結に向けて、共産党の指示のもとで秘密裏に動き、事態収拾に成功した様子が克明に再現されている。宮本氏とはその後もしばしば会ったという。細かい情報やビラ一枚に至るまで知っていることに驚いた。平田さんが書いたアジビラも読んでおり、「あれはよく書けている」と言われたこともあった。いま花伝社には、学生時代にSEALDsで活躍していた若手がスタッフに入り、本書の編集を担当したという。平田さんの「未完の志」は、半世紀を経て、形を変えながら次の世代に静かにバトンタッチされつつあるようだ。危機感を強めた共産党はてテコ入れに躍起になる。平田さんは党本部に呼び出しを受け、しばらく現地指導に行ってくれ、と指示される。ここからが本書の最大の読みどころだ。事件の首謀者とされる広谷氏は、60年代の学生運動で、平田さんが直接の指導・指示を受けていた人だ。要するに、長期にわたって「広谷氏に使われた」のが平田さんだった。川上氏とも親しく、彼らの勉強会に出ていたこともあるが、事件当時の平田さんは、司法試験の勉強に取り掛かっており、運動とは距離を置いていたこともあり連座しなかったようだ。タイトルの「未完の時代」というのは60年代のこと。帯には「『未完の時代』を生きた同時代の人と、この道を歩む人たちへ」とある。時は移り、「そして、志だけが残った――」とも。こうして文学部も収束に向けて動き出す。8年生だった平田さんはいくつか単位を残しており、落第、中退を覚悟していたが、「何でもよいから特別レポートを提出」するように言われ、奇跡的に卒業できた。骨を折ってくれた人の話も出てくる。郷里の両親に卒業証書を届けると、自宅で長い間、額に入れて飾っていたという。平田さんは激動の1960年代に学生運動に深く関わり、全学連委員長も務めた。在学中から日本共産党員。あの「東大紛争」では、極秘の収拾工作に関わっていた。しかし、のちに共産党を離れる。本書は、激動の60年代を駆け抜けた「東大・元共産党員」の疾風録だ。話がここで終われば手柄回顧、ハッピーエンドだが、平田さんには次なるドラマが待ち受けていた。それが「第5章 新日和見主義事件――1969年~1972年」である。これは共産党と民青内部のゴタゴタだ。平田さんは直接の当事者ではないが、最近の資料なども参照しながら、客観的にまとめられている。共産党本部からは直後に、「宮本顕治書記長のもとに至急報告に来い」という連絡が届く。党本部に出向くと、書記長室に呼ばれ、宮本書記長がいた。長く全学連の活動をしていたが、書記長室に入るのも、宮本氏と直接面会するのも初めてだった。まず教授たちに働きかけた。個別に有力教授の自宅を訪問し、教授会内部の勢力図を把握、解決の道を探った。可能な限り一人一人の先生と会ったという。「右翼」とされた中国哲学の宇野精一先生の自宅も訪ねた。「君は顔が利くようだから宜しく頼む」と言われた。ギリシャ哲学の斎藤忍随先生からは「文学部のために平田君は坂本龍馬になって薩長同盟をやってくれないか」と持ち掛けられた。革マルと民青が手を結んでストライキ解除をやってくれないかということだ。そこで、山本信先生の手引きで、革マル派の文学部の自治会委員長と、山本氏が行きつけの神保町のバーで密かに会った。しかし相手には、そうした発想はなく、事態は進まなかった。上述の文学部の岩崎学部長とのやり取りは、お互いに口外しないという約束だったという。詳細を記したのは今回が初めて。「東大紛争から50年の歳月が流れたいま、歴史的事実の一端を語ることは許していただけると思う」としている。BOOKウォッチでは関連して、『東大闘争から五〇年――歴史の証言』(花伝社)、『東大闘争 50年目のメモランダム--安田講堂、裁判、そして丸山眞男まで』(ウェイツ刊)、『東大闘争の語り』(新曜社)、『かつて10・8羽田闘争があった――山崎博昭追悼50周年記念〔記録資料篇〕』(合同フォレスト)、『私の1968年』(閏月社)、『歴史としての東大闘争――ぼくたちが闘ったわけ』(ちくま新書)、『東大駒場全共闘 エリートたちの回転木馬』(白順社)、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『六〇年安保―センチメンタル・ジャーニー』(洋泉社MC新書)、『赤軍派始末記』(彩流社)など多数紹介している。年が明け、秩父宮ラグビー場で、7学部の学生代表団と、大学側の加藤執行部の大衆団交が行われ、10項目の確認書が交わされる。直後の全共闘系と機動隊による安田講堂攻防戦が注目されたが、紛争は大枠で解決に向かうことになった。しかし、文学部の状況は依然として混とんとしていた。そこで、平田さんが動く。林氏は平田さんを有志連合の一人と受け止め、思うところは大胆に語った。平田さんは翌日、単独で改めて面会を申し込む。そして、「自分は共産党の任務を帯びて解決のために文学部に来ている」と率直に話して収拾構想を伝えた。林氏は「参った、参った」「君の考えはよく分かった」。平田さんは1941年、岐阜県で生まれた。大学進学者は年に数人という田舎の高校を卒業し、一浪後の61年、東大へ。駒場寮委員長、全寮連委員長、東大学生自治会中央委員会議長、第一回日中青年交流会の学生団体団長、全学連委員長などを務め、東大紛争では文学部の事態収拾のため水面下で交渉にあたった。69年、文学部を卒業し、出版社勤務を経て、85年に花伝社を創立し代表取締役、現在に至る、というのが略歴だ。この事件は、「60年代の学生運動を党の学生対策部長として指導した広谷俊二氏が、自分が党から干されたことを不満として、学生運動を基盤とし、その中心的な存在であった川上氏(元全学連委員長)らに働きかけ、最終的には新党結成に至る分派闘争を目論んで仕組んだ事件であったと思われる」と結論付けている。しかし、それに対する宮本体制による党側の摘発は容赦なかった。平田さんは、処分された関係者のほとんどは冤罪だったと見ている。「大量の査問が行われ、事件の影響が深刻に出ているにも拘わらず、この事件に対する党の検証は極めて不十分であると思う」「『日本共産党の八十年』から新日和見主義事件に関する記述はすべて消された。共産党はこの事件が『風化』することを待っているのだろうか」とも書いている。新日和見主義事件とは1972年に起きた、主として民青を中心に大量の共産党系青年運動の幹部が反党分子として査問され処分された事件だ。党によって戦前の特高のような査問が日本国憲法下で行われたこと、この事件の2~3年後には、党中央に忠実に従い、新日和見主義に対して先頭に立って闘ったと評価されていた複数の民青幹部が、警察のスパイとして摘発されたこと、この事件で60年代の共産党系の運動を担った人の多くが放逐され、その後の運動に世代断絶が起きたことなどを指摘している。当時の文学部自治会は革マル派が握っていた。学生大会をやると、250~300対80~120ぐらい。民青系は80ぐらいで圧倒的に差があった。一方で、一般学生の中には、このままストが続くと、来春の就職がやばいという空気も生まれつつあった。彼らは「有志連合」として動き始めていた。平田さんは彼らと話を付け、7~8人で文学部の林健太郎学部長 (当時)宅を訪問する。文学部の岩崎武雄学部長には「少数の者で解決策を詰めてみませんか」と提案した。何度かやり取りし、解決の方向を「学部長書簡」のような形で、学生、教授会の双方に向けて発表する流れになる。原案を書いてくれと頼まれ、たたき台を岩崎氏に渡した。あとで発表されたものを見たら、平田さんが作った文章と一字一句違わないものだった。本書は、「ここに記したのは1960年代に自分が実際に体験したこと 見たり、聞いたりしたこと そこで感じとったことなどを そのまま、記述したものである」という冒頭の言葉で始まる。「第1章 上京と安保――1960年」、「第2章 東大駒場――1961年~1964年」、「第3章 東大本郷――1965年~1968年」、「第4章 東大紛争――1968年~1969年」、「第5章 新日和見主義事件――1969年~1972年」という5章仕立て。年を追いながら激動の60年代と、学生運動に深入りした自らの青春の日々を回顧する内容となっている。
福島県福島市の県庁通りに期間限定でオープンした「古関裕而まちなか青春館」福島市出身の作曲家・古関裕而を知ることができる。会場に入り目に飛び込んでくるのが、大きな看板。『喜多三呉服店』…古関裕而の実家の呉服店の5メートルにもわたる看板が初公開。

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